「ありときりぎりす」

童話にもなってるぐらいだから
どんな場所にもいる「ありときりぎりす」(「うさぎとかめ」も?)。
違いは要領がいいかどうか、だと思われる。
童話ではきりぎりすやうさぎにならないようにね、
というのがオチだった。
幼いときから、なんでそれが悪いのか理解できなかった。

仕事の場でもタイプというのがある。
仕事をのんびりちまちまやるので時間がかかり、
ずーっとなにかしらやっている羽目になって
休みがとれないと愚痴る人もいる。
普通の時間に仕事が終わらず、
きっちり残業代をとっていつも遅くまで残ってやってたりもする。
意外と昼間にカルテ書きながらぐたぐた看護婦達としゃべってたり、
手術や処置をのんびりしてたりするから遅かったりするのだが、
遅くまで残ってやってる姿が印象に残り、
勤勉にみえるのはこっちだ。

同じ仕事量でも手を抜かずとも、
要領よくきびきびこなすと、結構、時間を短縮することができる。
短縮した時間の余りでソファに座って本を読んだり、
飲み物を飲んだり、一服することができる。
従って、休んでいる余裕の姿が目に付くこととなり、
だらけてさぼっているようにさえ思われがちである。
手術や処置が手早く、患者さんの診察もしっかりやり、
カルテもさっさと全て書いてあるのにもかかわらず
休める時間をうまく作ってしまうせいで
ぐうたらな印象を与えるわけである。
調べられるとこれらの仕事がすべて終わっていることが判明するが、
休んでいる時間があるならもっと仕事を与えてやろう、ということになる。
こういうタイプは仕事が増えれば増えるほど、
システマティックに要領をつかんで、やっぱり沢山こなせるようになる。
結局、息抜きの時間もどうにか作ってしまう。
だから、どこまでいっても不真面目な印象がぬぐえない。
きりぎりすというわけだ。
特に実直な勤勉なタイプは
こういう馬鹿に要領のいいタイプがお嫌いのことが多く、
相当の嫌がらせなども発生する。

どちらがいいも悪いもないと思うし、
タイプというのはなろうと思ってなれるものでもない。
世の中には要領の悪い人、いい人がいて、
これは簡単に替われるものではない。
ものすごい集中力を発揮できる人とそうでない人もいる。

要するに、与えられた仕事がきちんとこなせさえすればいいことで、
各々時間の長短はあっても、一生懸命やるにこしたことはない。
そのアプローチを大人になってまでとやかくいうことはない。
休みたければ根詰めて仕事して、時間を自分で作り出して休めばいいし、
休みがなくてもだらだらやるのが好きならそれでよい。
画一的な価値観を大人の集団に求めるのは無意味だと思う。
(もちろん仕事を荒くするのは論外。)
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by decoppati | 2005-03-22 21:13 | 脳外科の仕事
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