温かい家族

患者さんの容態はさまざまであるが、
特に脳神経外科の場合、命を取り留めても
「植物状態」と呼ばれるシビアな状態となることがある。
「植物状態」というのは、自分で呼吸はできるが、
周りの様子を十分に認識できない状態であり、
話や食事や排泄、寝返りさえ自分ではできない。
目を開けるようになることもあるが、
周囲を認識しているといえないことも多い。

完全に回復する可能性がまずないのはわかっているが、
それでも毎日診ていると、ちょっとした変化がわかる。
ささやかながらいい徴候がでてくるととても嬉しい。
できたことができなくなったりすると非常に悲しい。

しかし、その患者さんの家族となると感じ方は複雑である。



家族は、どんなに絶望的な状態であっても、
当初は命が救われることを祈り、
命が救われたら今度は完全回復を祈る。
最初からはっきり宣告されていても、
実際に救命された後に「植物状態」になってみると
とてもやりきれない思いがあると思う。
そういう状況になってしまうとはっきりと3つのタイプの家族がいる。

① 面会には来るが、
  「植物状態」になった患者にどう接して良いかわからず、 
  ずっと嘆き悲しんで泣いていて、
  あまり患者には触れないし見ようとしない。
② 病院にめっきり姿を現さなくなって、
  月に1-2回、洗濯物を取りに来る程度になって、
  来てもあまり状況が変化していないことにいらだってしまう。
  たまにしか来ないため、ちょっとした変化がわからないし、
  完全回復からはなお遠いため意味がないと思われてしまう。
③ 毎日家族の誰かしら、あるいは友人達が面会にきて、
  看護婦と一緒に体を拭いたり、自主的にマッサージをしたり、
  話しかけたり、患者が好きだった音楽や
  落語を聞かせてあげたりする。

やはり元気だった家族がいきなり倒れて、命が助かったとしても
話もできず、目も開けてくれない状態になったら
家族はどうしたらいいかわからなくなるし、
悲しいし、嘆いて暮らしてしまうのが道理であると思う。

しかしそんななか、上に挙げたうちの一番最後のタイプの家族は
いつもわたしを感動させる。
患者さんの誕生日には、家族や友人がいっぱい病室に集まって、
ケーキも持参して、みんなで患者さんに話しかけ、おめでとうをいい、
賑やかに歓談したりする。
毎日高校生のお孫さんが学校帰りに病室の祖母や祖父を訪ねてきて、
学校であったことや最近あったことを患者さんに話していく。
家族や友人が訪ねてきては、まるで元気だったときのように
患者さんにいろいろ話しかけて、整容などをしてあげる。
好きな音楽や落語、競馬中継などをかけて、
患者さんの耳にイヤホンをいれて聞かせている。
こういう家族はおしなべて、毎日患者さんの状態をよくみているので
ほんの小さな変化でもとても敏感に感じ取れるようになり、
我々治療側の人間と一緒に状態を一喜一憂する。

こういうときに思うことはひとつ。
これは家族だけが立派なのではない。
また家族が冷たいのでもない。
全ては倒れた患者さんがこれまで家族にどう接してきたか、
なにを家族に与えてきたかを反映していると考えてしまう。
大事にされている患者さんは、
今まで家族を大事にして本当に立派に暮らしてこられたのだと思う。
なぜか冷たくされてしまう患者さんは、
家族が悪いのではなく、家族に今までいろいろ面倒をかけたり、
とてつもなく迷惑をかけていたことが実際多い。
だから家族を悪く思う気にはならない。
ただ双方とも不幸であることが悲しい。

「植物状態」になってもなお家族のなかで尊敬され、
大事なおじいさん、おばあさんで頼りにされている人もいる。
そんな立派な人生を送りたいと思うが、私はもう無理かも。
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by decoppati | 2005-01-22 01:22 | 脳外科の仕事
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