カテゴリ:脳外科の仕事( 65 )

出るものすべて出てしまうってこと。

いまさらながら考えてみると、
仕事のときにあまり気にしていないことが、
普段の生活からはかけ離れていると気が付く。

たとえば。
脳神経外科に搬送される救急患者は大体意識に問題があるわけで、
搬送されて病院に収容するときには、
おしっこにまみれ、便もでていて、よだれも鼻水もでて、
嘔吐のあとがある上に、いきなり噴射状に嘔吐したりする。
ある程度、皆さんそんな感じなので、結構慣れている。
ときに嘔吐をぶっ掛けられることもあるし、
おしっこがついた衣服がぺたーっと腕などにくっつくこともある。
鼻水やつばが飛んでくることは日常茶飯事である。
わたしは白衣の下は私服でいることが多いが、
意外とそれでも下まではやられない。

これにはおおいに慣れや感が必要で、汚物がとぶ方向や
汚れていそうなところを感知するのが早ければ、
それなりの対処を講じて、かぶることは免れられる。

それにしても、
普通の生活の場では他人のつばが飛んできただけで不快だが、
仕事の場となると、全く見ず知らずの人の汚物でさえ、
たいして汚いという意識はなくなる。
大体、顔にちょっとなんかかかったからといって、
すぐ拭いたり、洗ったりする時間もない。
(もちろん後できれいに拭くが。)
なにより、患者はしようとしてそうしたわけでもなく、
本人にとってはいろいろ失禁したりして、
とても恥ずかしいことだろうから、ことさら汚ながったら、身も蓋もない。
だから絶対に患者の前で「汚い」といわないように気をつけている。

背中から髄液を抜くなどの処置してる最中のおならなども同様で、
患者は目の前でしちゃ悪いと思って
一生懸命悪がって警告してくれるのだが、
こっちは早く処置して次の仕事に取り掛かりたかったりするので
「どうぞ、気にせずに。慣れてますからー」とかいってしまう。
ほんとはこんなの「慣れられる」はずがない。
でも患者に恥ずかしい思いをさせない努力は必要である。
[PR]
by decoppati | 2005-02-03 17:56 | 脳外科の仕事

ホームレス

こと医療に関する限り、日本ではホームレスこそ
最高のもてなしを受けることができる。

救急現場では毎日毎日多くのホームレスが運ばれてくる。
路上に寝ていたり、アルコールをたらふく飲んで
転倒したりして頭から血を流しているのをのを
通りがかりの誰かが救急要請して過ぎ去ったりするのである。
本人が拒否しようが、救急車はとりあえず病院に連れてくる。
ものすごい頭部外傷を負っていたり、脳内出血や脳梗塞などで
倒れていることもある。
最近は昔ほどものすごい臭気や汚染の強いホームレスは多くないが、
それでもシラミや疥癬を持っていることも多く、
汚染がひどい場合には救急室に入る前にシャワーを浴びていただく。
(他の患者さんにうつらないように!)
なまじっか貯金や生命保険などがある普通の人は
治療費がかさんで困っても生活保護にはなれないが、
ホームレスは即座に生活保護が受けられる。
お陰で必要な治療をなんの制約も悩みもなく受けられるのである。
よもや後遺症が残ってもリハビリ病院にも行かれるし、
その後、アパートなども福祉で見つけてもらえる。

こういう状況をみるにつけ、
一人暮らしで倒れてなんの保証もなくなるのなら
いっそ貯金や生命保険などをせずにいて、
病気になったら生活保護を申請したほうが
ずっとましだとも思える。それほど厚い福祉を享受できる。
なんだかおかしい世の中なのである。

ホームレスはそれなりに自活している人が多く、
環境上、人間付き合いに慣れているので、
病棟にいると、大暴れする患者を押さえてくれたり、
他の患者の話し相手になったり、看護婦さんの仕事を手伝ったりして
結構、いいムードメーカーになることもある。
またドタ袋一つが家財道具一式なので、
その中からなんでもでてきて「ドラえもん」よろしく、
同室者の役に立って微笑ましい。
毎日、心配した仲間が連れだって来るので、
家族がたまにしか来ない普通の人より見舞いが多い。
都会の大きな駅前ロータリーのホームレスの群れから
「よお、先生ー」とか笑顔で屈託なく手を振ってくれちゃったりして
なんだか憎めないひとたちでもある。

どんなであれ、みんな人間なのだから
お互い助け合えばいいのではないだろうか。
ただし、ホームレスにもいろいろいて、
アル中や精神異常者、生活保護に甘んじてる怠け者、
こそ泥の癖がある人などしょうもないのもやっぱり多いから、
一概に十把ひとからげにはできない。
[PR]
by decoppati | 2005-01-26 22:51 | 脳外科の仕事

無力

どんなにいろいろ手を尽くしても、
もうどうしようもない症例がある。
脳や神経系では損傷が及んでいる部位や
発症からの時間、現在の症状によって、
もう手遅れであったり、
なすすべがないことがわかってしまうことがある。
それでも万が一の可能性を信じて、
できる限りの手を尽くすのが仕事である。
ただ、その残酷な現実については
正直に説明しなければいけない。
そして家族からストップがかからない限り
救命する方向に、たとえ重篤な後遺障害が残っても、
手を尽くすのが使命なのである。

当直のときに心肺停止で運ばれてきた80代の身なりのいい紳士。
ご家族揃っての夕食中のくも膜下出血だった。
雨の中、救急車に遅れて息せき切って駆けつけた
同年代の上品なご夫人が、
左手に必死の思いで雨の水をためて持っていた。
「これをかけたらお父さんが生き返ると思うの」
と祈るようなまなざしでつぶやいておられた。
私から蘇生後の病状の説明を受けている最中だった
息子さんや娘さんにそんなもの捨てて、といわれていたが、
こういう気持ちを踏みにじることはできない。
本当にそんなことが起きればいいのに、と
わたしも祈りたい気分になった。

実際、その12時間後に亡くなった。
亡くなる直前ご夫人は、彼に向かって、
「お父さん、これまで本当にありがとうございました」
と手を握りながら涙を見せずに丁寧にお辞儀された。
娘さんや息子さんにも入り込めない、2人だけの儀式だった。
なんともやるせない思いでいっぱいになった。
結局、いつか必ず人は死ぬわけだから、
ちょっと頑張っても変わるはずがない。
限りある人生の前で医学はしばしば無力である。
[PR]
by decoppati | 2005-01-24 23:28 | 脳外科の仕事

手術室の音楽の選択

やはり機械の音や骨を削る音、
心電図や酸素飽和度をモニターする電子音など、
殺伐した雰囲気で黙々と長い手術をやるのは疲れる。
そんな手術場でも、ちょっと音楽をかけるだけで
その場の緊迫した雰囲気が和み、すごく仕事がはかどる。
私は昔から好きな音楽をガンガンかけていると、何をするにも
気が散らず調子に乗ってものすごく集中することができる性質だ。
勉強するときに音楽をかける人、かけない人、
学生の時、よくそんなことでお互い言い争ったものだ。
手術の時もそれが当てはまる。
術者で音が出ているのを嫌う人もいるが、
長い手術の時に音楽をかけるのはどの科でもかなり一般的である。

その音楽の選択について。
ちなみに電気メスなどを使うため手術室では電波障害があり、
個々の部屋でのラジオ受信はまず不可能である。
中央でラジオ受信して各々の部屋に放送できる病院もあり、
J-waveをかけることもできる。
術者があまり頓着しない場合、看護婦さんが適当に
そこらへんにあるCDをかけることがよくある。
すると、意に背いて変な音楽を聴かされる羽目になったりする。
かと思うと、大学病院の教授などでこだわりの人もいる。
教授が入る手術に必ず「白鳥の湖」をかけなければいけなかったり、
はたまたド演歌のオンパレードだったり、
一緒に入る医者のストレスになりそうな事例も数多い。

レジデントの頃は、難しい手術では自分が術者をするわけではないし、
あまり術野に進展がなく、手をだせる場面がほとんどないとなると、
日頃の超寝不足もあって、ずっと立っているのも辛い。
そういうのを乗り切るには、音楽である。

幸い術者に音楽に頓着がある人が少なかったため、手術に入るときに
自分で好きな音楽のカセットやCDをポケットにいれていき、
よく、外回りの看護婦さんにかけてもらっていた。
膠着状態が続きそうなときは、
元気のでそうなレゲエの曲やR&B、オペラなど。
繊細な作業が多い時は、クールなジャズや、バロックなど。
自分がメインでやっていいときは、
パンクでもヒップホップでもファンクでもジャズでも
そのとき聴きたいCDを嬉々として持っていった。

音楽はどんな辛いときでも、腐っているときでも、
ほんの一瞬、遠い場所に連れて行ってくれる。
音を聴くと、いろいろな楽しかったことを思い出す。
楽しい気持ちがあれば、それを増幅してくれる。

もう最近では10時間レベルの手術も少なく、
手術室に向かう前にCDを厳選したり、持参することもなくなった。
しかし、緊迫した場面やふて腐れそうになったとき、音楽のおかげで
張り詰めた気持ちをうまく切り替えることができたことを
今でもよく思い出す。
[PR]
by decoppati | 2005-01-23 22:10 | 脳外科の仕事

温かい家族

患者さんの容態はさまざまであるが、
特に脳神経外科の場合、命を取り留めても
「植物状態」と呼ばれるシビアな状態となることがある。
「植物状態」というのは、自分で呼吸はできるが、
周りの様子を十分に認識できない状態であり、
話や食事や排泄、寝返りさえ自分ではできない。
目を開けるようになることもあるが、
周囲を認識しているといえないことも多い。

完全に回復する可能性がまずないのはわかっているが、
それでも毎日診ていると、ちょっとした変化がわかる。
ささやかながらいい徴候がでてくるととても嬉しい。
できたことができなくなったりすると非常に悲しい。

しかし、その患者さんの家族となると感じ方は複雑である。

つづきはこちら
[PR]
by decoppati | 2005-01-22 01:22 | 脳外科の仕事

ドラマ雑感

結構、看護婦さんや患者さんは医療ドラマがお好きなようで、
いろいろな現実の場面で、ドラマのシーンの話がでる。
わたしはほとんどTVドラマを観ない。
昔から特に医療もののドラマは観る気にならず、
チャンネル変えている途中でちょっと手を止める程度で、
そのうち耐えられずに変えてしまう。
このところニュース、ドキュメンタリー以外、
TVを観ないのに拍車がかかったからなおさらである。
なんで観たくないかというと、全ての面において
あまりに現実離れしすぎていてバカバカしくなるからであった。

症例や人間関係が現実離れしているのは、結構。
しかし、一番鼻白むのは、
レジデントや下位の医師がまるででくのぼうに描かれ、
患者について上の医者にいちいち質問したり、
何かある度に必要以上におたおたしたり、
変なタイミングでおどけてたりすること。

これは、こういう下位の医師にさせる度々のくだらない質問が
設定や状況、病状や手術法などをドラマの視聴者に対して
こと細かに説明する重要な役目を担っているからだと思われる。

だが。
実際にこんなレジデントがいたら、いや学生でさえ、八つ裂きである。
学生のときでさえ、なにも考えずに
漠然と質問することは憚られる世界である。
もし、学生が不用意に「これは一体なんですか?」
なんて質問しようもんなら、上の医者や講師、助教授、教授に
「そんなに勉強しないでいると、今に患者殺すぞ。」と強くなじられ、
「調べられるところは自分で調べ、勉強してから聞けよ。」
と言われるわけである。
質問したいときは、わかる範囲で調べた上で
それでもわからないことだけを抽出して、かなり絞って聞くものだ。

NHK(BSだったかも)でアメリカの「ER」が始まったときも
全く観るつもりがなかった。ただ、周りの人たちのはまり方がすごくて、
結局、看護婦が当直してる私の待機室に無理矢理ビデオを持ってきて、
一緒に観た挙げ句、何本か貸してくれた。
確かにERは観ていることができた。(もう数年観ていないが。)

「ER」を観ていて私が面白いと感じられる大きな理由の一つは
余計な説明がいちいち無いことであった。
このおかげでレジデントや若い医者がうさんくさくならず、
まるでどこか本当の救急外来のある日のように感じられる。

日本の医療ドラマで老婆心めいて、くどくど説明されていた事項は
「ER」では全く説明なしに流れているわけだが、
それでも明らかに医療関係以外の人々がかなり楽しんでいるのを
みるとそんなに細かい説明は要らないのかもしれない。
(例えば、患者の搬送シーンではGlasgow Coma Scaleを
 なんの説明もなく、実際の現場と同じように救急隊が告げる。
 素人は全くわからないが、気にしていない。
 わからなくても患者の様子をみれば
 なんとなくわかるようになっている。)

まあ、ドラマの制作現場では内容や質なんかより、
視聴率がとれさえすればいいのだろう。
しかし、刑事物にしても医療ものにしても、
その職種に対してのリスペクトを欠いているものが多い。
視聴者はドラマの作り手が思っているよりも理解力がありそうだ。
あまりに設定のぶれたドラマやおちゃらけは
視聴者蔑視の裏返しでしかないことを
ドラマの作り手の肝に銘じて欲しい。
そして良質のドラマが視聴者の心をとらえることを祈る。
[PR]
by decoppati | 2005-01-20 01:18 | 脳外科の仕事

平静を保つことは難しい。

外科系では年がら年中、「急な」対応を迫られることが多い。
こういうことは事前に予測できることもあるし、
また思わぬタイミングで思わぬ事が起こることもある。
特に、こういった緊急事態に出遭いやすいのは、
救急外来と手術場である。
他にも病棟、外来での急変というのがある。

手術場の場合は、術前にいろいろな場合を想定して、
これが起こったらこうしよう、
あれが起こったらこうする、とあらかじめ
術場に入るもの全員がいろいろ考えておくものである。
だからなにかが起こっても、大抵のことは
さほどパニックにならずにうまく対処できるのであるが、
それでも想定外のことが起こることもある。
こういった場合、当たり前だが、誰でもどきどきするし、
なにがなんでも術前より状態を良くしなければいけない
プレッシャーのため、パニック状態となることが多い。
パニックになると人は他人の事なんて気遣う余裕が無くなる。
看護婦を怒鳴り、麻酔科を怒鳴りつけ、道具を投げたり、
なんでも人のせいにして、ワイルドな所行を繰り広げる様となる。
手術室では簡単に医者の「真の姿」が露呈してしまう。
普段どんなに猫なで声で優しそうにしても無駄である。
手術室の看護婦さんはなんでもお見通しである。

救急外来ではいつなんどきどんな症例が来るか全く予想できない。
のんびり朝食なんか食べてて、いきなり消防庁から連絡が入って、
3分後にはものすごい重症患者が運ばれてくるわけだ。
また、普通の外来や病棟でも、急に息が止まったり、
心臓が止まってしまったりする急変のケースに遭うことがある。
こういう時にもすごく緊張して、周りの人を怒鳴りまくる
パニック野郎というのがいる。
これは却って逆効果であって、医者が緊張すると周りが緊張する。
慣れない看護婦が緊張したり怯えたりすると、
頭が真っ白になってしまって、なおさら使い物にならなくなる。
重症の患者をみて怖じ気づく看護婦にも
リラックスして最大限の働きをしてもらわなければいけない。
まず気をつけることは、落ち着いて構えることである。
落ち着いてられなくても、
落ち着いているようにみせかけることが重要である。
なるべくゆったりした低い声で落ち着いて指示を出すことである。
ガチャガチャせずに、道具がそろっていない場でも、
できる限りのことをしながら、周りを怯えさせない工夫が必要である。
しかし、これが過ぎると、若い看護婦など、
「なあんだ、急変じゃなかったんだー」とばかりに
勘違いしてのろのろする輩が出るので
適度の緊張感を保つことも必要かも知れない。

いずれにせよ、仕事場で人間性を疑われるような醜悪で
偽悪的な姿をさらさないために気をつけていきたいものだ。
以前、国会答弁で田中真紀子女史が大臣職にありながら、
答弁ができないで「わたし昨日全然寝てないんですから」とか
ヒステリックにのたまわっているのをみてぶっとんだ。
ああいう感情的なexcuseは仕事の場では通用しない。
あんなヒステリックなおばちゃんには絶対ならないぞー。
[PR]
by decoppati | 2005-01-15 21:59 | 脳外科の仕事

当直室にお化けがでる?

お化けをみたとかいう人は医者でも医学生でもよくいる。
古くは大学の校舎や寮に深夜や明け方、
白い装束を着たおばあさんの幽霊がよくでて
階段を2段抜かしで登っていたのをみた、とか、
よくそんな話を聞いたものだ。

男性でもお化け、霊、金縛りなどの話をしたがる人がよくいる。
田舎病院に行くと、トイレから煙が出てたとか、
大体御札がそこらじゅうに張ってあること自体おかしいとか、
展望の良い上階から墓場が見えるので頻繁に人魂をみるとか、
当直室の中の小さな三角のスペースにおばあさんが座っていた、とか。
当直で行った際に、私を除く全員が金縛りに合って
医局内で名物となっている病院もある。

金縛りってただの筋肉疲労なんじゃないのー、と
全然意に介していないわたしだけに霊も見えず金縛りもなく、
みんなから小馬鹿にされていた。

それよりなによりもっとすごいのは、
わたしのときだけ、朝目が覚めたら、
ほんもののじいさん(受付のパート)が
当直室のベッドの脇に立っていて、
こちらの顔を覗き込んでいたことである。
これが本当の「驚愕」・「恐怖」であって、幽霊の比ではない。
だって、鍵を閉めた当直室で寝てて、
朝、布団の中で目を覚ましたら
なぜか目の前にじいさんの顔があるのだ。

なんですか、と聞いたら、ごにょごにょ言いながら
何もなかったように、のそのそと出て行った。
はっきり言って、この金縛り病院で2回以上、こんなことがあった。
だから他の人の金縛りってのも、
実はそのじいさんが上にのっかってるのかもしれない。
みんな目を開けないでいて、
真実がわからないのかもしれない。
なににせよ、なぜそのじいさんが
部屋に忍び込んでいたのかわからない。
目的は、金か、ボケか、色欲か?
その頃、時計をなくしたことがあったのだが、それもそうかも。
変なことされた覚えはないが、一回じいさんに忍び込まれてから、
鍵かけててもちゃんとした格好して寝るようにしてた。
ただ寝顔がみたかったのか?

他の誰もがその病院でそんな体験はないという。
そういう意味でも、当直に来る初めて、或いは唯一の女性なんて、
変に興味をもたれてしまったりする。
身の回りには注意!
[PR]
by decoppati | 2005-01-14 16:49 | 脳外科の仕事

レジデントのとき人より手術に多く入るには。

外科系のレジデント(研修医)にとって寝ずに食べれずに
一生懸命働いていることに対する一番嬉しいご褒美は
手術に入れてもらって、新しいことを学ぶこと、
手を動かさせてもらうことである。
少しでも手伝わせてもらう機会を多く持つことは
レジデント仕事の大きな報酬となる。

毎日毎日病棟での仕事ばかりになると、
レジデントでも腐ってくる。
脳神経外科の場合、術野が非常に狭いので(頭や首だけ!)
通常2人、研修医を入れる場合でも多くて3人で手術を行う。
また、3人で手術する羽目になると、
まん中に立つのは大抵レジデントで
道具をとりにくく、居心地が悪く、
下手に手を出すと先輩に怒鳴られるため
ただ突っ立っていたほうがいいような気分になるものである。
その結果ふて腐れて立っている羽目になることもある。

自分がレジデントのときの嬉しかった体験がある。
レジデント同士が同じ手術に入ることがないので
他の人がどう振る舞っているのか知る由もなかった。
先輩と一緒に手術に入る機会を得ても
術者から指示がない限り怒られるのがいやで
指示があるまでじっとしている人も多かったようだ。

私はといえば、
長時間じっとしているほうが苦痛なので
なにも指示されていないのに術者が次に何をしようとしているか、
何をしてあげたら無駄な動きがなくていいのか、楽なのかを
ずーっと推察しつつ、手を動かしていってみた。

邪魔なときは邪魔といわれるため、
これでタイミングや術者の癖や性格を覚えた。
それより、結構ツボにはまっていたようで、
術者からは「やりやすい」と褒めてもらえるようになり
教授などの手術の助手に推してもらえることが増えた。
また、手術のときに足手纏いにならないために、
ある程度の糸結びや糸が緩まない練習は最低限しておいた。

こうなると、レジデントが沢山いても
術者から直接声がかかることが確実に増える。
そういうときに他のレジデントから
やっかみの声がでたりするわけで
とんちんかんなことに「女だから重用されてる」
とさえいわれたものだが、同期の女性にはそれがあたらず、
また、直接先輩達から
「だって手術がスムーズで早くなるから選ぶのだ」といわれ、
溜飲を下げた。

今、自分が術者になって思うが、
やはり自主性のあるレジデントは教えやすい。
手を動かさない者に「ここをこうやれ、ああやれ」
といちいち指示するより、
ちょっとは勉強してきて、手伝ってくれようとしたり、
考えながら自分から手を動かしている者に
「そこは触っちゃだめ。これはやっちゃだめ。」と止めるのは簡単で、
「もっとこんなかんじで。」
と指示する方がはるかに簡単で教えがいがある。
だからといって、決して機会を不均一にすることはしないが、
教える方も人間であるから、明け方の手術ともなると、
できの悪いレジデントと入って時間を浪費するぐらいなら、
と、そういうレジデントのときは呼ばずに、
一人で手術してしまうのである。
[PR]
by decoppati | 2005-01-06 00:13 | 脳外科の仕事

人が倒れるとき

救急で運ばれてくる患者の多くは、
「突然」調子が悪くなってくる人たちである。
特に消防から脳神経外科御指名でくる重症患者は
「突然」なにかが起きて意識がなくなった、という人が多い。
脳内出血やくも膜下出血、脳梗塞、頭部外傷など
いろいろな原因があるが、いずれも時も場所も選ばない。
厄介なことに50代、60代の働き盛り、大黒柱のお父さんも多い。

夜や休日に自宅で発生した場合には、
当初から近くに家族や一番親しい人が居るから、
やってくるまでに周囲の人にもそれなりの覚悟がある。
しかし、仕事中というのがとにかく多い。
そのため、発生から病院にたどり着くまで一緒にいるのは
同僚や部下、上司といった人たちで、
家族は電話で連絡されて本人に会うために直接病院にやってくる。
心配して悲壮な面持ちで必死にとるものもとりあえずやってきて、
思いもしなかった家族の昏睡状態をみて、
また、もう元には戻らないと聞いて、
信じたくないし、信じられない。

そんなとき、よく家族から聞くのは後悔の念だ。
「いつもお父さんがでかけるときなにも話をしないから、
 今日もいってらっしゃいとさえ、いってあげなかった。
 ちゃんと顔をみて、送り出してあげればよかった」
「朝、話かけられたのに邪険にしてしまった」
「頭が痛いといってたのにとりあってあげなかった」
「こんなことになるならもっと普段から
 大事にしてあげればよかった」
などなど、書ききれない。

実際、元気に朝、うちを出て行った人が、
次にあったときには昏睡状態だったり意識朦朧として、
重症で元には戻れないとなったら、後悔が尽きないと思う。
どんなにいろいろしていても、後悔は残ることだろう。
バイク事故などで亡くなる若い人ならなおさらだ。

毎日こういう模様をみていて、この仕事を始めてから
個人的には家族や友人に対して率直になるし、
素直に感謝を述べられるようになった。
オーバーかもしれないが、
こちらも家族も友人もいつ何が起きるとも知れない。
これが最後の別れになるかもしれないといつも思って
少しでも後悔が減るように一緒に過ごす時間を大切にするようになった。
[PR]
by decoppati | 2005-01-02 00:17 | 脳外科の仕事