仲人に払う謝礼

昔は結婚式を一流ホテルで200人も招いて盛大にやる人が多かった。
大体、親の関係の招待客が多いわけで、
政治家、芸能人など、知ってる限りの著名人を呼んで競っていたようだ。
そんな時仲人を依頼されるのは新郎側ということで
大抵、大学の脳神経外科講座の教授である。

多分、教授というのは仲人の謝礼も大きな収入源なのだと思う。
十数年前には、その相場が50万ということを聞いた。
その前は30万だったらしいが、
誰かが結婚するときにゴージャスに50万出したため、
そのあと結婚する人からは50万ださざるを得なくなった。
まあ、教授が要求しているわけではなく、
慣例として相場がつり上がってしまったということらしい。
ぶつぶついいながらも、新郎となる人たちはどうにか納めていた。

そして10年ほど前に、実家が裕福なある先輩が結婚するにあたって、
なんと謝礼を100万円納めてしまった。

さあ大変なのは、その後結婚する人たちである。
結婚費用だけでも大変なのに、
仲人に100万円というのはそうそう払う気にならない。

というわけで、
それ以降、仲人を立てて結婚することは皆無となり、
時代の風潮に乗っているようにみせかけつつ、
レストランウェディングや親族だけの地味婚ばかりになっている。
教授には、ご愁傷様としかいえない。
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# by decoppati | 2005-02-05 14:00 | 男性医師の生態

スッチ-との合コン、結婚

男性陣の楽しみといえば、合コンである。
一番気合を入れて行くのは、スチュワーデスとの合コンである。
(いまはキャビンアテンダントと自称しているようだ。)
逆に女の立場で言えば、スッチーなら同じ合コンでも
大金を持ってて暇もある実業家やどっかの御曹司など、
もっといい相手との機会も沢山作るんだろうから、
金なし暇なし女癖悪の脳外科医なんかを相手にするなぞ
時間の無駄な気がする。
大体、パイロットだって年収が医者の倍以上いいし。

とにもかくにも、未婚者も既婚者も(もちろん未婚という触れ込み)
合コンにいそいそと出かけていく。
スッチーと結婚する医者の披露宴には
いつになく万難を排して出かけていって、
新婦の同僚と知己を得ようとする。
ちなみに意外といつもその帰りは不満顔で、
 「結構あの奥さん根性悪いぜ。
 スッチーだからそんなはずないのに、
 自分よりきれいな娘は呼んでなくて、
 結局新婦が一番ましだったもん。」と口々にいう。
スチュワーデスというのは、男性から見て素人女性の中では
最大級の金星のようである。
その価値観がわからないと、先輩を憤慨させてしまうこともある。

・彼女がスッチーなのでJALの限定版のカレンダーを持ってると
 自慢されても、別になんの変哲もないカレンダーなので
 「ふーん。」としかいえない。
・結婚することになったら、彼女の最後のフライトには
 新郎が花束を持って搭乗するしきたりなので病院を休むと聞いて、
 「なんだそりゃ」といってしまったり、
・国際便のスッチーと結婚した医者が、
 国内便のスッチーと結婚した医者のことを露骨に見下して
 したり顔で話すのを聞いて
 「どっちでもおんなじじゃないですか」と答えてしまったり。

やっぱり、若い子達は価値観はどうあれ、男界の流儀として、
「すごいですねー。」とか「さすが。」とか言っているみたいだ。
スチュワーデスも大変な仕事とは思うが、
どうにもそこまで思い入れがない。
だって、高校の同級生でも、高校生のときに整形したり、
なんとも「うーん」っていう子たちが何人もスッチーになってるから。
この話題にはいつも苦慮する。
やっぱりどうしてそこまで入れ込むかはわからない。
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# by decoppati | 2005-02-05 13:35 | 男性医師の生態

出るものすべて出てしまうってこと。

いまさらながら考えてみると、
仕事のときにあまり気にしていないことが、
普段の生活からはかけ離れていると気が付く。

たとえば。
脳神経外科に搬送される救急患者は大体意識に問題があるわけで、
搬送されて病院に収容するときには、
おしっこにまみれ、便もでていて、よだれも鼻水もでて、
嘔吐のあとがある上に、いきなり噴射状に嘔吐したりする。
ある程度、皆さんそんな感じなので、結構慣れている。
ときに嘔吐をぶっ掛けられることもあるし、
おしっこがついた衣服がぺたーっと腕などにくっつくこともある。
鼻水やつばが飛んでくることは日常茶飯事である。
わたしは白衣の下は私服でいることが多いが、
意外とそれでも下まではやられない。

これにはおおいに慣れや感が必要で、汚物がとぶ方向や
汚れていそうなところを感知するのが早ければ、
それなりの対処を講じて、かぶることは免れられる。

それにしても、
普通の生活の場では他人のつばが飛んできただけで不快だが、
仕事の場となると、全く見ず知らずの人の汚物でさえ、
たいして汚いという意識はなくなる。
大体、顔にちょっとなんかかかったからといって、
すぐ拭いたり、洗ったりする時間もない。
(もちろん後できれいに拭くが。)
なにより、患者はしようとしてそうしたわけでもなく、
本人にとってはいろいろ失禁したりして、
とても恥ずかしいことだろうから、ことさら汚ながったら、身も蓋もない。
だから絶対に患者の前で「汚い」といわないように気をつけている。

背中から髄液を抜くなどの処置してる最中のおならなども同様で、
患者は目の前でしちゃ悪いと思って
一生懸命悪がって警告してくれるのだが、
こっちは早く処置して次の仕事に取り掛かりたかったりするので
「どうぞ、気にせずに。慣れてますからー」とかいってしまう。
ほんとはこんなの「慣れられる」はずがない。
でも患者に恥ずかしい思いをさせない努力は必要である。
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# by decoppati | 2005-02-03 17:56 | 脳外科の仕事

見苦しいのは困る。

およそ女らしくはない私であるが、
それでも仕事中、最小限見苦しくないように、
気をつけたいことは意外とある。
人の目を気にするというより、敢えて人に不快感を与えないために。

疲れてる時、医局のソファをみると倒れこんで、
ゴロゴロしたい欲求に駆られる。
現に男性陣はよくソファに腹出したり、パンツ出したりして、
ゴロ寝して気持ちよさそうにしている。
まあ、そんなアザラシみたいに女が寝てるのは
男の何倍か見苦しいだろう。
大体、下品な先輩達から「誘ってるのかと思った」とか
下卑た冗談をいわれるのがオチである。
いちいち構われるのは面倒くさい。
だから周りに人がいない時や夜中しか魅惑のソファゴロ寝はしない。

看護婦さんに指示を出すにしても、
男性医師はたとえ2-3年目の若造でも
経験10年の看護婦にさえ命令口調や
犬にいうような言い方をすることが多いが、
女同士がそういう感じでやっていると、望むと望まざるとに関わらず、
周りからみて非常に奇妙な感じであろう。
新米の看護婦さんや若い他科の医師にも、
できるかぎり社会的敬語で接するようにしている。

その他、人前でもオナラやゲップ、歯ぎしり、いびきと、
男性医師は恥ずかしがらずにやり放題である。

また女性の場合、家で寝るときブラジャーをしないが、
病院ではそうはいかない。
当直のとき、医師はいつ何時でも呼び出されて即座に駆け付けるため、
そうそうノーブラで現れていいものではない。
そういう事態を避けたければ、2連直、3連直となったら
風呂に入るとき意外、ずーっとブラジャーしっぱなしになる。
肩が凝る。跡がつく。夏なんか汗疹ができそうになる。

こうしてみると男性は仕事場でも
自分のうちの居間の様に振る舞えるのである。
それにしても、仕事の拘束時間が長く、疲労困ぱいしているときぐらい、
居間にいるかのように振る舞えたらどんなに楽か。
ただ、誰もいないときは自由だが、
人前で偽悪的に振る舞って男性化する必要もない。
こんなとき性別は窮屈なものである。
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# by decoppati | 2005-02-01 00:38 | 女性のハンディ

ホームレス

こと医療に関する限り、日本ではホームレスこそ
最高のもてなしを受けることができる。

救急現場では毎日毎日多くのホームレスが運ばれてくる。
路上に寝ていたり、アルコールをたらふく飲んで
転倒したりして頭から血を流しているのをのを
通りがかりの誰かが救急要請して過ぎ去ったりするのである。
本人が拒否しようが、救急車はとりあえず病院に連れてくる。
ものすごい頭部外傷を負っていたり、脳内出血や脳梗塞などで
倒れていることもある。
最近は昔ほどものすごい臭気や汚染の強いホームレスは多くないが、
それでもシラミや疥癬を持っていることも多く、
汚染がひどい場合には救急室に入る前にシャワーを浴びていただく。
(他の患者さんにうつらないように!)
なまじっか貯金や生命保険などがある普通の人は
治療費がかさんで困っても生活保護にはなれないが、
ホームレスは即座に生活保護が受けられる。
お陰で必要な治療をなんの制約も悩みもなく受けられるのである。
よもや後遺症が残ってもリハビリ病院にも行かれるし、
その後、アパートなども福祉で見つけてもらえる。

こういう状況をみるにつけ、
一人暮らしで倒れてなんの保証もなくなるのなら
いっそ貯金や生命保険などをせずにいて、
病気になったら生活保護を申請したほうが
ずっとましだとも思える。それほど厚い福祉を享受できる。
なんだかおかしい世の中なのである。

ホームレスはそれなりに自活している人が多く、
環境上、人間付き合いに慣れているので、
病棟にいると、大暴れする患者を押さえてくれたり、
他の患者の話し相手になったり、看護婦さんの仕事を手伝ったりして
結構、いいムードメーカーになることもある。
またドタ袋一つが家財道具一式なので、
その中からなんでもでてきて「ドラえもん」よろしく、
同室者の役に立って微笑ましい。
毎日、心配した仲間が連れだって来るので、
家族がたまにしか来ない普通の人より見舞いが多い。
都会の大きな駅前ロータリーのホームレスの群れから
「よお、先生ー」とか笑顔で屈託なく手を振ってくれちゃったりして
なんだか憎めないひとたちでもある。

どんなであれ、みんな人間なのだから
お互い助け合えばいいのではないだろうか。
ただし、ホームレスにもいろいろいて、
アル中や精神異常者、生活保護に甘んじてる怠け者、
こそ泥の癖がある人などしょうもないのもやっぱり多いから、
一概に十把ひとからげにはできない。
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# by decoppati | 2005-01-26 22:51 | 脳外科の仕事

無力

どんなにいろいろ手を尽くしても、
もうどうしようもない症例がある。
脳や神経系では損傷が及んでいる部位や
発症からの時間、現在の症状によって、
もう手遅れであったり、
なすすべがないことがわかってしまうことがある。
それでも万が一の可能性を信じて、
できる限りの手を尽くすのが仕事である。
ただ、その残酷な現実については
正直に説明しなければいけない。
そして家族からストップがかからない限り
救命する方向に、たとえ重篤な後遺障害が残っても、
手を尽くすのが使命なのである。

当直のときに心肺停止で運ばれてきた80代の身なりのいい紳士。
ご家族揃っての夕食中のくも膜下出血だった。
雨の中、救急車に遅れて息せき切って駆けつけた
同年代の上品なご夫人が、
左手に必死の思いで雨の水をためて持っていた。
「これをかけたらお父さんが生き返ると思うの」
と祈るようなまなざしでつぶやいておられた。
私から蘇生後の病状の説明を受けている最中だった
息子さんや娘さんにそんなもの捨てて、といわれていたが、
こういう気持ちを踏みにじることはできない。
本当にそんなことが起きればいいのに、と
わたしも祈りたい気分になった。

実際、その12時間後に亡くなった。
亡くなる直前ご夫人は、彼に向かって、
「お父さん、これまで本当にありがとうございました」
と手を握りながら涙を見せずに丁寧にお辞儀された。
娘さんや息子さんにも入り込めない、2人だけの儀式だった。
なんともやるせない思いでいっぱいになった。
結局、いつか必ず人は死ぬわけだから、
ちょっと頑張っても変わるはずがない。
限りある人生の前で医学はしばしば無力である。
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# by decoppati | 2005-01-24 23:28 | 脳外科の仕事

手術室の音楽の選択

やはり機械の音や骨を削る音、
心電図や酸素飽和度をモニターする電子音など、
殺伐した雰囲気で黙々と長い手術をやるのは疲れる。
そんな手術場でも、ちょっと音楽をかけるだけで
その場の緊迫した雰囲気が和み、すごく仕事がはかどる。
私は昔から好きな音楽をガンガンかけていると、何をするにも
気が散らず調子に乗ってものすごく集中することができる性質だ。
勉強するときに音楽をかける人、かけない人、
学生の時、よくそんなことでお互い言い争ったものだ。
手術の時もそれが当てはまる。
術者で音が出ているのを嫌う人もいるが、
長い手術の時に音楽をかけるのはどの科でもかなり一般的である。

その音楽の選択について。
ちなみに電気メスなどを使うため手術室では電波障害があり、
個々の部屋でのラジオ受信はまず不可能である。
中央でラジオ受信して各々の部屋に放送できる病院もあり、
J-waveをかけることもできる。
術者があまり頓着しない場合、看護婦さんが適当に
そこらへんにあるCDをかけることがよくある。
すると、意に背いて変な音楽を聴かされる羽目になったりする。
かと思うと、大学病院の教授などでこだわりの人もいる。
教授が入る手術に必ず「白鳥の湖」をかけなければいけなかったり、
はたまたド演歌のオンパレードだったり、
一緒に入る医者のストレスになりそうな事例も数多い。

レジデントの頃は、難しい手術では自分が術者をするわけではないし、
あまり術野に進展がなく、手をだせる場面がほとんどないとなると、
日頃の超寝不足もあって、ずっと立っているのも辛い。
そういうのを乗り切るには、音楽である。

幸い術者に音楽に頓着がある人が少なかったため、手術に入るときに
自分で好きな音楽のカセットやCDをポケットにいれていき、
よく、外回りの看護婦さんにかけてもらっていた。
膠着状態が続きそうなときは、
元気のでそうなレゲエの曲やR&B、オペラなど。
繊細な作業が多い時は、クールなジャズや、バロックなど。
自分がメインでやっていいときは、
パンクでもヒップホップでもファンクでもジャズでも
そのとき聴きたいCDを嬉々として持っていった。

音楽はどんな辛いときでも、腐っているときでも、
ほんの一瞬、遠い場所に連れて行ってくれる。
音を聴くと、いろいろな楽しかったことを思い出す。
楽しい気持ちがあれば、それを増幅してくれる。

もう最近では10時間レベルの手術も少なく、
手術室に向かう前にCDを厳選したり、持参することもなくなった。
しかし、緊迫した場面やふて腐れそうになったとき、音楽のおかげで
張り詰めた気持ちをうまく切り替えることができたことを
今でもよく思い出す。
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# by decoppati | 2005-01-23 22:10 | 脳外科の仕事

温かい家族

患者さんの容態はさまざまであるが、
特に脳神経外科の場合、命を取り留めても
「植物状態」と呼ばれるシビアな状態となることがある。
「植物状態」というのは、自分で呼吸はできるが、
周りの様子を十分に認識できない状態であり、
話や食事や排泄、寝返りさえ自分ではできない。
目を開けるようになることもあるが、
周囲を認識しているといえないことも多い。

完全に回復する可能性がまずないのはわかっているが、
それでも毎日診ていると、ちょっとした変化がわかる。
ささやかながらいい徴候がでてくるととても嬉しい。
できたことができなくなったりすると非常に悲しい。

しかし、その患者さんの家族となると感じ方は複雑である。

つづきはこちら
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# by decoppati | 2005-01-22 01:22 | 脳外科の仕事

ドラマ雑感

結構、看護婦さんや患者さんは医療ドラマがお好きなようで、
いろいろな現実の場面で、ドラマのシーンの話がでる。
わたしはほとんどTVドラマを観ない。
昔から特に医療もののドラマは観る気にならず、
チャンネル変えている途中でちょっと手を止める程度で、
そのうち耐えられずに変えてしまう。
このところニュース、ドキュメンタリー以外、
TVを観ないのに拍車がかかったからなおさらである。
なんで観たくないかというと、全ての面において
あまりに現実離れしすぎていてバカバカしくなるからであった。

症例や人間関係が現実離れしているのは、結構。
しかし、一番鼻白むのは、
レジデントや下位の医師がまるででくのぼうに描かれ、
患者について上の医者にいちいち質問したり、
何かある度に必要以上におたおたしたり、
変なタイミングでおどけてたりすること。

これは、こういう下位の医師にさせる度々のくだらない質問が
設定や状況、病状や手術法などをドラマの視聴者に対して
こと細かに説明する重要な役目を担っているからだと思われる。

だが。
実際にこんなレジデントがいたら、いや学生でさえ、八つ裂きである。
学生のときでさえ、なにも考えずに
漠然と質問することは憚られる世界である。
もし、学生が不用意に「これは一体なんですか?」
なんて質問しようもんなら、上の医者や講師、助教授、教授に
「そんなに勉強しないでいると、今に患者殺すぞ。」と強くなじられ、
「調べられるところは自分で調べ、勉強してから聞けよ。」
と言われるわけである。
質問したいときは、わかる範囲で調べた上で
それでもわからないことだけを抽出して、かなり絞って聞くものだ。

NHK(BSだったかも)でアメリカの「ER」が始まったときも
全く観るつもりがなかった。ただ、周りの人たちのはまり方がすごくて、
結局、看護婦が当直してる私の待機室に無理矢理ビデオを持ってきて、
一緒に観た挙げ句、何本か貸してくれた。
確かにERは観ていることができた。(もう数年観ていないが。)

「ER」を観ていて私が面白いと感じられる大きな理由の一つは
余計な説明がいちいち無いことであった。
このおかげでレジデントや若い医者がうさんくさくならず、
まるでどこか本当の救急外来のある日のように感じられる。

日本の医療ドラマで老婆心めいて、くどくど説明されていた事項は
「ER」では全く説明なしに流れているわけだが、
それでも明らかに医療関係以外の人々がかなり楽しんでいるのを
みるとそんなに細かい説明は要らないのかもしれない。
(例えば、患者の搬送シーンではGlasgow Coma Scaleを
 なんの説明もなく、実際の現場と同じように救急隊が告げる。
 素人は全くわからないが、気にしていない。
 わからなくても患者の様子をみれば
 なんとなくわかるようになっている。)

まあ、ドラマの制作現場では内容や質なんかより、
視聴率がとれさえすればいいのだろう。
しかし、刑事物にしても医療ものにしても、
その職種に対してのリスペクトを欠いているものが多い。
視聴者はドラマの作り手が思っているよりも理解力がありそうだ。
あまりに設定のぶれたドラマやおちゃらけは
視聴者蔑視の裏返しでしかないことを
ドラマの作り手の肝に銘じて欲しい。
そして良質のドラマが視聴者の心をとらえることを祈る。
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# by decoppati | 2005-01-20 01:18 | 脳外科の仕事

平静を保つことは難しい。

外科系では年がら年中、「急な」対応を迫られることが多い。
こういうことは事前に予測できることもあるし、
また思わぬタイミングで思わぬ事が起こることもある。
特に、こういった緊急事態に出遭いやすいのは、
救急外来と手術場である。
他にも病棟、外来での急変というのがある。

手術場の場合は、術前にいろいろな場合を想定して、
これが起こったらこうしよう、
あれが起こったらこうする、とあらかじめ
術場に入るもの全員がいろいろ考えておくものである。
だからなにかが起こっても、大抵のことは
さほどパニックにならずにうまく対処できるのであるが、
それでも想定外のことが起こることもある。
こういった場合、当たり前だが、誰でもどきどきするし、
なにがなんでも術前より状態を良くしなければいけない
プレッシャーのため、パニック状態となることが多い。
パニックになると人は他人の事なんて気遣う余裕が無くなる。
看護婦を怒鳴り、麻酔科を怒鳴りつけ、道具を投げたり、
なんでも人のせいにして、ワイルドな所行を繰り広げる様となる。
手術室では簡単に医者の「真の姿」が露呈してしまう。
普段どんなに猫なで声で優しそうにしても無駄である。
手術室の看護婦さんはなんでもお見通しである。

救急外来ではいつなんどきどんな症例が来るか全く予想できない。
のんびり朝食なんか食べてて、いきなり消防庁から連絡が入って、
3分後にはものすごい重症患者が運ばれてくるわけだ。
また、普通の外来や病棟でも、急に息が止まったり、
心臓が止まってしまったりする急変のケースに遭うことがある。
こういう時にもすごく緊張して、周りの人を怒鳴りまくる
パニック野郎というのがいる。
これは却って逆効果であって、医者が緊張すると周りが緊張する。
慣れない看護婦が緊張したり怯えたりすると、
頭が真っ白になってしまって、なおさら使い物にならなくなる。
重症の患者をみて怖じ気づく看護婦にも
リラックスして最大限の働きをしてもらわなければいけない。
まず気をつけることは、落ち着いて構えることである。
落ち着いてられなくても、
落ち着いているようにみせかけることが重要である。
なるべくゆったりした低い声で落ち着いて指示を出すことである。
ガチャガチャせずに、道具がそろっていない場でも、
できる限りのことをしながら、周りを怯えさせない工夫が必要である。
しかし、これが過ぎると、若い看護婦など、
「なあんだ、急変じゃなかったんだー」とばかりに
勘違いしてのろのろする輩が出るので
適度の緊張感を保つことも必要かも知れない。

いずれにせよ、仕事場で人間性を疑われるような醜悪で
偽悪的な姿をさらさないために気をつけていきたいものだ。
以前、国会答弁で田中真紀子女史が大臣職にありながら、
答弁ができないで「わたし昨日全然寝てないんですから」とか
ヒステリックにのたまわっているのをみてぶっとんだ。
ああいう感情的なexcuseは仕事の場では通用しない。
あんなヒステリックなおばちゃんには絶対ならないぞー。
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# by decoppati | 2005-01-15 21:59 | 脳外科の仕事

MR

MRさんとは、以前「プロパー」と呼んでいた
各薬品会社の営業担当者のことである。
現在はMedical Representativeの略でMRと言う。
本当は医薬情報担当者らしい。

10年以上前、規制が緩かったころは、接待合戦、貢物作戦、
ありとあらゆるサービス作戦、なんでもありありだった。
みみっちい先輩やよその科の医師が、
仕事や薬品と全く関係ないことをいろいろ頼む姿は誠にさもしく、
「絶対にああはなるまい」と思った。
そういうくだらない医師たちが頼むのは、
自宅のための物件探し、ゴルフの手配、コンサートの手配、
何かの整理券取り、風俗店接待、馬券購入、
草野球、草サッカーなどの場所取り、参加強要などである。
もちろんいいレストランや料亭での会食接待の強要もする。
逆に業者からの上記供与も日常茶飯であった。
そんなもん、プライベートで自分で行けるし、
大体そんなこと自力でやりゃいいじゃん。

医者になったばかり、右も左もわからない坊ややお嬢ちゃんなど、
海千山千歴戦の「プロパー」に敬語で下にも置かない接待されたら
ひとたまりもない。
これに染まると、どんどんプロパー頼み率が高くなり、
そのうちいっぱしの「偉そうな医者」となる。

今は規制もあり、
本来の「医薬情報」伝達などのほうが主体となってきた感がある。
しかし、旧来からの体制というのは
そんなに簡単に改変されるはずもなく、
今でも若い医者が中年のMRにいろいろ申し付けて
ふんぞりかえってることがある。なんと見苦しいことか。
医者が偉そうにしているのは表だけ、
裏でMRたちがベロ出して腹抱えて笑っているはずだ。
タダほど高いものはない。
接待を受けたら、その薬が例えヘボでも効き目が疑問的でも
なんでもかんでも誰にでも同じ処方したりするようになる。
怖いことだ。
金や物に目がくらんで、精神が自由でなくなることは恐ろしい。
公正な目で、自由な精神で、
なんでも意見したり行動できるようにしたい。
しがらみもなく、身軽で清潔でいたい。

そういう医者は営業にならないのか、MRから敬遠されがち。
接待やサービスで簡単になびく人が好みみたいだ。
なびきさえすれば、レジデントや
経験年数の低い後輩にもMRがぺこぺこする。
ひよこの刷り込みよろしく、
今のうちの刷り込み行動なのは明白。
ターゲットドクターでも、なびかない人には時間かけないもんね。
それとも女だからなめているのかも?
あるいは、もしや秘書(ありえねー。化粧してないもん。)や
掃除のおばさんだと思われているのかも?
今日もMRがざくざく病院に来て、若い医者にぺこぺこしてる。
治療の最終決定権を持つのは、知っての通り、
もっと上、我々中堅以上のレベルなのだが。
これから10年後のための種まきかな。
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# by decoppati | 2005-01-14 17:32 | 男性医師の生態

当直室にお化けがでる?

お化けをみたとかいう人は医者でも医学生でもよくいる。
古くは大学の校舎や寮に深夜や明け方、
白い装束を着たおばあさんの幽霊がよくでて
階段を2段抜かしで登っていたのをみた、とか、
よくそんな話を聞いたものだ。

男性でもお化け、霊、金縛りなどの話をしたがる人がよくいる。
田舎病院に行くと、トイレから煙が出てたとか、
大体御札がそこらじゅうに張ってあること自体おかしいとか、
展望の良い上階から墓場が見えるので頻繁に人魂をみるとか、
当直室の中の小さな三角のスペースにおばあさんが座っていた、とか。
当直で行った際に、私を除く全員が金縛りに合って
医局内で名物となっている病院もある。

金縛りってただの筋肉疲労なんじゃないのー、と
全然意に介していないわたしだけに霊も見えず金縛りもなく、
みんなから小馬鹿にされていた。

それよりなによりもっとすごいのは、
わたしのときだけ、朝目が覚めたら、
ほんもののじいさん(受付のパート)が
当直室のベッドの脇に立っていて、
こちらの顔を覗き込んでいたことである。
これが本当の「驚愕」・「恐怖」であって、幽霊の比ではない。
だって、鍵を閉めた当直室で寝てて、
朝、布団の中で目を覚ましたら
なぜか目の前にじいさんの顔があるのだ。

なんですか、と聞いたら、ごにょごにょ言いながら
何もなかったように、のそのそと出て行った。
はっきり言って、この金縛り病院で2回以上、こんなことがあった。
だから他の人の金縛りってのも、
実はそのじいさんが上にのっかってるのかもしれない。
みんな目を開けないでいて、
真実がわからないのかもしれない。
なににせよ、なぜそのじいさんが
部屋に忍び込んでいたのかわからない。
目的は、金か、ボケか、色欲か?
その頃、時計をなくしたことがあったのだが、それもそうかも。
変なことされた覚えはないが、一回じいさんに忍び込まれてから、
鍵かけててもちゃんとした格好して寝るようにしてた。
ただ寝顔がみたかったのか?

他の誰もがその病院でそんな体験はないという。
そういう意味でも、当直に来る初めて、或いは唯一の女性なんて、
変に興味をもたれてしまったりする。
身の回りには注意!
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# by decoppati | 2005-01-14 16:49 | 脳外科の仕事

仕事での体力

一般にやはり体格の勝る男性のほうが体力もありそうに思うが、
それがあながちそうともいえない。
アスリートやプロレスラーなどの体力という意味ではなくて、
救急現場で必要な体力は、
いかに多忙で寝不足が続き、どんなに空腹が続いても
仕事中には大体ムラなく仕事を綿密にこなし、
周囲に当り散らすことなく平静を保つという類のものである。

この仕事をしてむしろ先輩たちに指摘されて初めてわかったのが、
「女性のほうがこういう類の体力がある」
かもしれないということである。
これは入局してどこの施設でもいわれてきた。

一般的に人間というもの、やっぱり寝ていなくて、食べていなければ、
まずいらいらするし、仕事が億劫になるし、雑になる。
だが、そんな同級のレジデントたちを尻目に同期の女医さんもわたしも
結構、セルフコントロールすることに成功していたようで、
明るく楽しそうにみえていたようだ。
やはり伊達に男性より脂肪がついているわけではない。
らくだみたいなものだ。

逆に多忙、寝不足、空腹に極端に弱い人もかなり多い。
そういうときに大きなムラがでるというのは困った問題で、
あたった患者さんは迷惑である。

ただ救急現場では、
3日3晩働きづめで一睡もしておらず、
まともな食事もとれず、丸一日以上固形物を摂取する時間がとれない
というような究極の状態もままある。

こういう事態になってみてはじめて気が付いたことがある。
こういうときは全身の筋肉が疲労のあまりだるくなってしまい、
挙句、顎の筋肉さえだるくて動かすのにかなり労力を要するようになる。
だからやっと時間ができて食事をとれることになっても、
咀嚼のために顎を動かすのが結構大変である。
普通の生活をしているとわからない。
男性の下級生などではこういう究極の疲労状態になると
気持ち悪くなったといって、ご飯の時間にちゃんと食事をとらず、
その時間も惜しんで寝ていたいという人もでる。
その結果、男性医師ではこういう忙しい施設にいると
どんどんやせていく人が多い。(その点だけはうらやましい。)
また、そのため体力も落ちて悪循環となる。

寝られないときは、だるくても食べる。
食べられないときは、寸暇を惜しんで寝る。
どっちもできるならできるときにしておく、というのが
超多忙施設にいるときに自分で課している心得であるが、
幸い、今まで倒れたり、仕事を休んだりしたことがない。
(その結果、そういう施設にいるときはなぜか体重がぐんぐん増える。
 次にいつ食べられるかわからないといった焦燥感がつのり、
 食べられる度に大食いしていいのだという誤った考えを
 自己正当化しているため。)
なにより丈夫な体に育ててくれた両親にいまさらながら感謝である。
しかし、こんな究極の状況でも、当然ながら間違いは許されないわけで、
緊張感からくる気力というのがどんなときにも一番大切かも知れない。
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# by decoppati | 2005-01-08 02:41 | 女性のハンディ

脳神経外科では力が要らない。

nanakoさんのTBにさらにTB.
nanakoさんもおっしゃっているように、
男性と女性では明らかに体格や力が違います。
他の科のことはわからないのですが、
脳神経外科に関していえば、その境界線を試されるほどの力や体格を
要するところが見当たらないので、女性でも十分できる仕事だといえます。

学生の手術見学および手洗い実習のときに
やはり整形外科の「足持ち」をしてみて、
できないことはないですが、
ずっとあれを持っていることは男性のほうが向いていると
素直に思いました。
他にも整形外科ではいろいろな器具で骨折の治療や、
おもりの設定などでなんとなく力を要するところが多いように思います。
大変なお仕事だと思います。

それに対して、脳神経外科で力を使うところといえば、
手術のときやちょっとしたときに頭を両手で何分か支えることや
頚動脈を30分ぐらい、ぎゅっと押さえることぐらいでしょうか。
これは男性でなければできないほどの力は要りません。
そういう意味では、整形外科よりも女性でも力にハンディを感じずに
いられるかもしれません。
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# by decoppati | 2005-01-08 02:10 | 女性のハンディ

レジデントのとき人より手術に多く入るには。

外科系のレジデント(研修医)にとって寝ずに食べれずに
一生懸命働いていることに対する一番嬉しいご褒美は
手術に入れてもらって、新しいことを学ぶこと、
手を動かさせてもらうことである。
少しでも手伝わせてもらう機会を多く持つことは
レジデント仕事の大きな報酬となる。

毎日毎日病棟での仕事ばかりになると、
レジデントでも腐ってくる。
脳神経外科の場合、術野が非常に狭いので(頭や首だけ!)
通常2人、研修医を入れる場合でも多くて3人で手術を行う。
また、3人で手術する羽目になると、
まん中に立つのは大抵レジデントで
道具をとりにくく、居心地が悪く、
下手に手を出すと先輩に怒鳴られるため
ただ突っ立っていたほうがいいような気分になるものである。
その結果ふて腐れて立っている羽目になることもある。

自分がレジデントのときの嬉しかった体験がある。
レジデント同士が同じ手術に入ることがないので
他の人がどう振る舞っているのか知る由もなかった。
先輩と一緒に手術に入る機会を得ても
術者から指示がない限り怒られるのがいやで
指示があるまでじっとしている人も多かったようだ。

私はといえば、
長時間じっとしているほうが苦痛なので
なにも指示されていないのに術者が次に何をしようとしているか、
何をしてあげたら無駄な動きがなくていいのか、楽なのかを
ずーっと推察しつつ、手を動かしていってみた。

邪魔なときは邪魔といわれるため、
これでタイミングや術者の癖や性格を覚えた。
それより、結構ツボにはまっていたようで、
術者からは「やりやすい」と褒めてもらえるようになり
教授などの手術の助手に推してもらえることが増えた。
また、手術のときに足手纏いにならないために、
ある程度の糸結びや糸が緩まない練習は最低限しておいた。

こうなると、レジデントが沢山いても
術者から直接声がかかることが確実に増える。
そういうときに他のレジデントから
やっかみの声がでたりするわけで
とんちんかんなことに「女だから重用されてる」
とさえいわれたものだが、同期の女性にはそれがあたらず、
また、直接先輩達から
「だって手術がスムーズで早くなるから選ぶのだ」といわれ、
溜飲を下げた。

今、自分が術者になって思うが、
やはり自主性のあるレジデントは教えやすい。
手を動かさない者に「ここをこうやれ、ああやれ」
といちいち指示するより、
ちょっとは勉強してきて、手伝ってくれようとしたり、
考えながら自分から手を動かしている者に
「そこは触っちゃだめ。これはやっちゃだめ。」と止めるのは簡単で、
「もっとこんなかんじで。」
と指示する方がはるかに簡単で教えがいがある。
だからといって、決して機会を不均一にすることはしないが、
教える方も人間であるから、明け方の手術ともなると、
できの悪いレジデントと入って時間を浪費するぐらいなら、
と、そういうレジデントのときは呼ばずに、
一人で手術してしまうのである。
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# by decoppati | 2005-01-06 00:13 | 脳外科の仕事

男女関係

最近は観ていないのだが、アメリカのTVドラマ「ER」では
救急外来という小さな母集団の中で目まぐるしく
カップルの取り合わせが代わってまるで
swingersという感じであった。
しかし、これこそがまた現実の一部であることも
あながち否定できない事実である。
ドラマをみていてあまりおかしいと思っていなかったのだが、
一緒に観ていた違う分野の友人が「ありえない!」と言ったので
それに驚いた。

同じ看護婦さんが医者と何人か立て続けにつきあうことや、
医者が多くの看護婦や事務員、助手さんなどと同時進行的に
関係を持つことがどこの病院にいっても外科系ではよくある。
その結果、ちょっと前にカップルだった人たちが
お互い違う相手とつきあうこともままあることで、
情報が遅れているとついていけない。
束縛の多い職場なので職場恋愛は多い。職場結婚も多い。

ただ、ちょっとどうしていいかわからなくなるようなことも
往々にして起こる。
当人同士が幸せなのだから別に揶揄することもないのだが、
若い医者が同じ医局の何人もの医者とつきあっていた看護婦さんと
結婚する場合がそれである。
彼はもしかして全く知らないのかもしれないし、
知ってのことかもしれない。
別に知る必要もないだろうから、教えるつもりもない。
しかし、彼の入局する前から何人もの先輩が新婦のことを
よーく知っており、また周囲もいろいろ聞いて知っているのは、
端から見てなんとなく気持ち悪いような気がする。
結婚しないまでも、
俗にいう「義兄弟」が長男から6人も数えられるような
ツワモノ看護婦さんと若い医者がつきあい始めたと聞くと
蔭で男性陣からいろいろ前のことの話が
詳細にわたって飛び出して気の毒になる。

そういう意味でも仮想家族状態であるかもしれない。
ただ、医者と極端に付き合いのいい看護婦さんは、
「人がいい」だけであって
ふしだらとはちょっと違うことは名誉のために付け加えておく。
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# by decoppati | 2005-01-05 01:09 | 女性にもいろいろ

人が倒れるとき

救急で運ばれてくる患者の多くは、
「突然」調子が悪くなってくる人たちである。
特に消防から脳神経外科御指名でくる重症患者は
「突然」なにかが起きて意識がなくなった、という人が多い。
脳内出血やくも膜下出血、脳梗塞、頭部外傷など
いろいろな原因があるが、いずれも時も場所も選ばない。
厄介なことに50代、60代の働き盛り、大黒柱のお父さんも多い。

夜や休日に自宅で発生した場合には、
当初から近くに家族や一番親しい人が居るから、
やってくるまでに周囲の人にもそれなりの覚悟がある。
しかし、仕事中というのがとにかく多い。
そのため、発生から病院にたどり着くまで一緒にいるのは
同僚や部下、上司といった人たちで、
家族は電話で連絡されて本人に会うために直接病院にやってくる。
心配して悲壮な面持ちで必死にとるものもとりあえずやってきて、
思いもしなかった家族の昏睡状態をみて、
また、もう元には戻らないと聞いて、
信じたくないし、信じられない。

そんなとき、よく家族から聞くのは後悔の念だ。
「いつもお父さんがでかけるときなにも話をしないから、
 今日もいってらっしゃいとさえ、いってあげなかった。
 ちゃんと顔をみて、送り出してあげればよかった」
「朝、話かけられたのに邪険にしてしまった」
「頭が痛いといってたのにとりあってあげなかった」
「こんなことになるならもっと普段から
 大事にしてあげればよかった」
などなど、書ききれない。

実際、元気に朝、うちを出て行った人が、
次にあったときには昏睡状態だったり意識朦朧として、
重症で元には戻れないとなったら、後悔が尽きないと思う。
どんなにいろいろしていても、後悔は残ることだろう。
バイク事故などで亡くなる若い人ならなおさらだ。

毎日こういう模様をみていて、この仕事を始めてから
個人的には家族や友人に対して率直になるし、
素直に感謝を述べられるようになった。
オーバーかもしれないが、
こちらも家族も友人もいつ何が起きるとも知れない。
これが最後の別れになるかもしれないといつも思って
少しでも後悔が減るように一緒に過ごす時間を大切にするようになった。
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# by decoppati | 2005-01-02 00:17 | 脳外科の仕事

病院が家族?

大学病院では束縛時間が長く、グループごとに行動するため、
文字通り朝から晩まで手術、回診、食事さえも同じ面子でいることになる。
自宅に帰ってもいいものを、
外勤に行っていた医師が直行するのは病院で、
上機嫌で「ただいまー」と帰ってくるし、
日曜日に暇な後輩など、病院にやってきて医局のソファでTVをみたり、
当直の医師と一緒にご飯を食べたり、頼むと何か買ってきてくれたり
「今日の日曜映画劇場はOOですよ」とかいってくつろいでいたりする。
なんだか仮想家族のようだ。

市中病院にいると、医師同士がそんなに密着する必要はないが、
脳神経外科など救急救命に関する科はやはり当直や急変、
緊急などの関係で病院に居る時間がおのずと長くなる。

普通の週末、大型連休、クリスマス、正月なども
自由に過ごせないのは当たり前の生活である。
(いわせてもらえば、代休ももちろんない。)
こういう中で、少しでも楽しみを見出すことが
自分の精神衛生上いいように思っている。

病院にはどんなときにも多くの人が働いていて、
クリスマスや正月には働いている者同士で
なんとか雰囲気をだそうと努力することがある。
クリスマスには出勤前に仕込んできたケーキやアペタイザー、
勤務中で酒が飲めないのでアップルタイザーなどを持ち寄って、
ちょっとしたパーティ形式のご飯を食べることもできる。
正月は、大体どこの病院のどこの病棟でも
世話好きな看護婦さん(たいていベテラン)がいれば
お雑煮を作ってくれることが多い。
いつも病棟にいる医師のことは、待ち構えていて御馳走してくれる。
田舎の病院などに行くと、自給自足の自家野菜と、
手作りコンニャク、看護婦さんのおじいさんが作った餅なんかで
とてもおいしいお雑煮が食べられる。

こうやって一番の年中行事も病院の中に幽閉されて、
真剣な仕事の合間に、そこにいるみんなと楽しんでいると
自分の本当の家族とは疎遠になりがちなのに
なんだか病院が家族のような気持ちになってくるのである。
さしずめ、私は小うるさいおねえさん、といったところかも。
怖いお父さんや頼りがいのあるお兄さん、
陰険だったり優柔不断だったりするお兄さんたちもいるが、
かわいいやんちゃな弟(後輩)たちと、
またやさしい妹(看護婦)たちに囲まれて
結構楽しく過ごしているのである。
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# by decoppati | 2005-01-01 21:01 | 脳外科の仕事

元旦の手術

そんなこと書いてたら案の上、
病院にいる後輩から
明け方入った患者の手術のために呼ばれ、
病院にとっても今年初の手術。
患者をはさんで、新年の挨拶が繰り広げられた。
手術は終わったが、この後、元旦の日当直業務をする。
また、こんないつもの年が始まった。

大型連休に働いていると、
天気が悪かったり、寒かったり、台風が来てたり、
雪が降っていたりするのが微妙に嬉しい。

今日は雪が残るものの久しぶりの天気で、
釈然としない元旦の朝である。
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# by decoppati | 2005-01-01 10:25 | 脳外科の仕事

大晦日・元旦

年末12月28日は予定の手術の最後の日で、
多くの病院で「メス納め」といわれる。
救急をあまりとらない病院でも、その「メス納め」のあとに
だらだら緊急手術が続くのは産婦人科と脳神経外科である。

前に書いたように脳神経外科では冬に緊急手術が多い。
これまで十何回か年末年始を過ごしてきたが、
穏便だったことは稀である。
大晦日に当直をしていて緊急手術となり、
手術中に元旦になったことも何回かあった。
よもや当直でなくて、
娑婆にいても手術のために呼び戻されたりする。
気が効く外回りの看護婦さんが0時ちょっと前から
カウントダウンをしてくれたりすると、
患者さんには申し訳ないがちょっと手術の手を休めて
手術室内にいる麻酔科、看護婦さん、先輩後輩に新年の挨拶をする。
外回りからなにもいわれないと、手術に熱中しているうちに
知らずに元旦を迎えており、起きていたのにカウントダウンもできず、
間抜けな気分になるものである。

2000年、2001年の元旦0時はY2K問題で
集中治療室(ICU)にへばりつかされていた。
人工呼吸器を装着された患者が多くいるためである。
もし大規模な停電になった場合、それが5分で回復したとしても、
患者へのダメージが予想されたせいであった。
実際は多くの病院は自家発電器を持っており、クリティカルな部署は
そちらにスウィッチする仕組みになっている。
もし作動しなかった場合、医者が手でアンビューバッグと呼ばれる、
換気のための器具を使って、患者の呼吸をさせなくてはならない。
幸いにして、なにも起こらなかったが、
その両年は大晦日から元旦にかけて当直以外の医師も
もしもに備えて出勤する羽目になって大変迷惑な話であった。
(ちなみにそんなときにも手当てなど一切ないのである。)
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# by decoppati | 2005-01-01 02:01 | 脳外科の仕事

止まってくれないタクシー

つい最近まで不況でどん底だったので、
タクシーもたとえワンメーターだとしても
嫌な顔をしなくなって女性に優しくなったが、
バブルの終焉頃から不況になる前のタクシー事情は最悪だった。

20連直(病院での正規の当直が20日続くこと。他の病院も併せて
とにかく20日以上自宅に帰ることができず、病院に缶詰になる)
なんていう狂気の沙汰をさせられていた研修医の頃。

数少ない、自宅に帰れる日も別段早く帰れるわけではなく、
早くて午後11時頃に帰途につくのだったが、
交通機関がある時間ならまだしも、
それが午前1時、2時、3時頃になることもままあった。
こういうときにも、もう20日以上自宅に帰れず、
明日からも病院での缶詰が続くとなると、
自分のベッドでコールを気にせずに寝られることだけを夢見て、
帰るのにどんなに時間がかかっても、
睡眠時間が少なくなっても、病院に泊まるのではなく、
どうしても自宅に帰りたくなるのだった。

そんなとき帰る手段はタクシーだけなのだが、
これがまた本当に止まってくれなくてひどかった。
その頃のタクシーは、お大臣商売をしていて、
女性はワンメーターが多いからという理由で
みてもみぬふり、目の前でUターン、
空車を倒して「回送」にするなど、
ありとあらゆる手を駆使して、素通りすることが多かった。
12時台に仕事が終わって午前1-2時頃帰る準夜の看護婦さんは
病院からタクシー代の支給があるのをタクシー運転手もよく知っており、
この時間だけは病院の前にタクシーが連なる。
この時間に帰れさえすれば問題はないのだが、
通常、病院を2時にでても路上で待つこと30分なんてざらであった。
(ちなみに病院は都心の大通りに面しており、タクシーは豊富に通る)

忘れもしない雪の日。
昨日のようにすごく寒いのに20日前の服装のままで
降りしきる雪の中を寒さに凍えながら立っていたが、
空車のタクシーが全然止まってくれない。
1時間も立っていたら、やっと一台のタクシーが止まってくれて、
いうことには、
「おねえさん、さっきここ通ったときも立ってたから根負けした。
 普通は女性は近い距離しか乗らないから無視するんだけど。」
と。そういえば、
男子の同期からタクシーを捕まえる苦労を聞いたことがなかった。

そういうことで、その後助手に上がって大学に再び勤務したときには
医局に割り当てられた駐車場が空いた瞬間に
わたしはそれを死守し、以降自家用車通勤を開始したのだった。
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# by decoppati | 2004-12-31 00:03 | 女性のハンディ

看護婦さん.3

看護婦さんというのは専門職であって、
仕事しながら新しいことを継続して勉強していく必要があり、
プライドを持てる素晴らしい仕事である。
資格を取るために、また、一人前になるために、
多くの時間を辛い勉強に割いてきている人たちである。

ただ、彼女たちが結婚するときに、
いつも興味深いなあ、と思う現象がある。

結婚して名前が変わって、仕事を当然の如く続けて
キャリアを積み重ね、自信を得ていく人達が沢山居る一方で、
なぜか、医者と結婚した看護婦さんは、
きっぱりと仕事を辞めてしまうことが、明らかに多い。
もったいない。
なぜなんだろう?

つい昨日まで一緒に働いていた
頑張りやで仲の良かった同期同士が結婚を機に、
「医者の奥さん」と看護婦さんへと立場が微妙に変化してしまう。
医者の奥さんになったほうは、
昨日まで「00先生」と呼んでいた旦那の下級生を
「00君」と呼んだりするようになる。
同期で看護婦を続けているほうは、相変わらずであるから、
双六の上がりみたいな感覚のように感じられる。

研修医や勤務医の収入はたいしたことがないので、
旦那の収入に起因するのでないのは明らかだ。
結婚してバリバリ働いている看護婦さんの旦那さんが、
一流企業の商社マンや銀行マンだったりすることは多く、
彼らのほうが医者より収入が高いはずだ。

もちろん夜勤などをしにくくなる関係で、
結婚した看護婦さんたちは外来などに異動することが多い。
同じ病院でも異動すれば、同じ職場で一緒に働くことはないし、
一緒に働くのに難があれば、病院を変わることもできるはずだ。

男の医者に超保守的な人が多くて、
女は仕事などせずに、うちを守ってくれ、と言うのだろうか?

個人的には、有能な看護婦さんで、
未婚のときにいろいろ将来の夢を語っていた人が、
かたや、家に籠もっておさんどんだけをして、
旦那の愚痴と子供の話だけがトピックになってしまい、
かたや、病院や医院や、他のフィールドで、
看護婦さんとしてのキャリアを確実に積み上げて、
自信に満ちて充実した社会生活と家庭生活を営んでいるのをみると、
疑問に思わざるをえない。

なんで医者と結婚した看護婦さんは、仕事をやめちゃうのだろう?
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# by decoppati | 2004-12-28 23:14 | 女性にもいろいろ

さもしい根性に気分が悪くなる。

医療関係者への謝礼

どんなに給料が安くても、謝礼ははっきり言ってなくていいのです。
もらってももらわなくても治療に差などありません。
真面目な話、どの患者さんにも
できる限り最善の処置や治療をする訓練を受けているから、
貴賎なく、全ての症例に全力を尽くすのは当たり前のことです。

お金などもらわなくても、必要なときには説明をするし、
面会のときに御家族に会えば、話もします。
わたしの場合、いただいてしまうと、その患者の部屋に行くのが
却って嫌になってしまいます。
ただ、きっぱりと断っても、押し問答になってしまって、
せっかく培った信頼関係が揺らいでしまいそうになることもあり、
完全にいただかないことは本当に難しいものです。
システム的に公立などでは、一旦もらってしまっても、
事務方に廻せば、自動的に丁重な手紙とともに付き返してくれます。
それでも、返されたほうは気分が悪いだろうなあ、とも思いますが、
これは公務員法の縛りのため仕方がありません。

しかし、多くの病院では
科や専門医資格の有無によって給料に差がないのも
こういうお金を当てにする輩が出る素地になっているかもしれません。
とても暇で、日中から医局に座ってずっと新聞読んでたり、
コンピュータゲームしたりして、9-5時で帰る医者
がいる一方で、
一日中ずーっと走り回って、手術して、
夜中も呼ばれてやってきてまた手術して、終わっても終わっても
また患者が来ててんてこ舞いしてる医者

経験年数によってすべて均一の給料です。

残業代はもらえないのが当たり前(慣例?)なので、
睡眠も削り、残業代もなしで、
夜中に呼ばれていわばサービスで手術した患者に
直接お礼をもらったりするのを当然と感じるのは
仕方がないことかもしれません。
病院のシステム自体が変わらない限り、問題は解決しないことでしょう。
出来高制度を導入することを検討している病院もあるようですから、
是非とも働いている量を勘案して適正な給料を出してもらいたいものです。

それにしても、人間、どこまで忙しくても、寝ていなくても、
さもしい根性にはなりません。
面白いことにこういうさもしい根性を持っている医師は
かえって患者の家族から白い目で見られることが多く、
逆に無欲の人に信頼が集まることも多いものです。
医師である前に、情緒をみがき、少なくとも
生き方に美学をもつことが大切だと思います。
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# by decoppati | 2004-12-27 13:36 | 脳外科の仕事

刺青

夜、時間外診療を受けにくる人はさまざまであるが、
「その筋」の人がやってくることも多い。
刑務所や留置所から腰縄つき、警官5-6人つきでやってくることもあるが、
ふらーっと来て、数日前からの頭痛を訴えることも多い。

大抵の場合、当然のごとく別段問題なく普通に診療は終了するが、
ときに、「頭が痛い」という症状のみを訴えているにもかかわらず、
なぜかもろ肌脱いで、それはそれは素晴らしい刺青を
わざと見せる御仁もちらほらいる。

礼を失しない程度に、頭の症状からいって
もろ肌脱ぐ必要がないことを話して、
「どうぞしまってください」といい、
C型肝炎(HCV)の有無について尋ねる事にしている。
いまだにHCVを御存じない、「その筋の」方々も多く、
逆にHCVについて尋ねられたら、丁寧に説明して差し上げる。
調べてみると、古くに立派な刺青を入れた人ほど、まず陽性である。
ただし、筋彫りのみとか、小さい刺青とか、外人などの機械彫り、
はたまた最近入れた人たちは陰性であることが多い。
どうやらここ10年程前からは、
刺青をいれる針もディスポーザブルになったらしい。

いずれにせよ、HCVについて知った後は、
心なしか意気消沈させてしまうのが常である。
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# by decoppati | 2004-12-27 01:36 | 脳外科の仕事

噂好き

医局の中で仕事以外の話といえば一にも二にも、
人の噂である。
それも常軌を逸していると思えるほど、
根も葉もない噂を創造しては
流すのに情熱を傾けている人がいる。
上司にうけたいという歪んだ上昇志向の賜物である。
幹部も若い医局員とうちとけたいと思って言うようだ。

大体、作話されるのは下品なネタや男女関係に関することである。
ときに上司の悪口を誰かがいっていた、といった
人事さえも左右する悪質なデマをとばされることもある。
ある意味で、女の医局員なんて、
簡単に面白デマ話が構築できるターゲットなので便利な存在である。

火のないところに煙はたたない、というが、
火がなくても煙が立つ全く恐ろしい噂大好き社会である。
やはり、年がら年中同じ面子で過ごさざるを得ず、
とりまく世界がものすごく狭まって、
第三者的に物事が見えなくなっているのも一因であろう。
よく言えば、ストイックに脳外科の仕事に完全に没頭・専念しているため、
他分野の人との付き合いや、趣味が理解できない、ともいえる。

たとえば、「decoppatiは、黒人と乱交してる」とか
「パンツはいてない」、とか、
「人事のことでお偉いさんに泣きついて、うまくやってもらった」、
「見る影もなく太って、小錦級になった」
とかそういうアホらしいことばかりである。

わたしは誰かの噂を聞いたとき、
最初に思うのは、また作り話だろう、ということだ。
自分に関することがまことしやかにいろいろ作られたのを知っているだけに
他の人のも鵜呑みにする気になれないからだ。

しかし、そうは問屋が卸さない。
意外にも、作り話をあまり疑わず、あるいは作り話と知って、
単純に噂話を楽しむ人は多い。
そういう人たちは、その話の真贋なんて最初から眼中にない。

自分のデマがとんだら、あまりの馬鹿馬鹿しさに
いちいち真面目に抗議する気もしないので
あまりにひどければちょっとは訂正するが、あとはほっとく。
あまり面と向かって真相について直撃してくれないので、
長年のうちに何故か医局内では
自分でない自分が一人歩きしてしまうきらいがあるが、
まあ、言わせておく。
大概は、悪意でなく、ただその場の悪ノリで言われているだけで、
別にいじめられているわけではない。

でも、医局に女の子が来たら、
一番げんなりするのはこれだろうなあ。
精神的な図太さは必要だと思う。
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# by decoppati | 2004-12-26 23:43 | 男性医師の生態

長い手術のときの栄養補給

脳神経外科の手術の長さはまちまちではあるが、
頭蓋底の脳腫瘍の手術や、血管に富む腫瘍の手術では、
10時間を越えることもままある。
朝9時前から始まって午後7時に終わればまだいいが、
終わるのが夜半すぎということも時にある。

昼を抜かして働き続けることは、
手術以外でも多いので慣れてしまうが、
昼も夜も抜かして、手先に集中していると
かなり疲労してくるものである。

そういうときに以前よくやっていたのが、
夕方近くに看護婦に糖分のある飲み物を買ってきてもらい、
(或いは医局の秘書さんに届けてもらい)
通常はおしっこの管で使う尿道カテーテル(もちろん新品)の根元を
缶の飲み口に入れて、その先をマスクの中に差し込んでもらうというもの。
手は清潔なので使えず、器用に口を廻して
カテーテルの先をキャッチするわけである。
そこから飲む飲料は格別である。
糖分と水分が体に染み渡って、生き返っていくのを実感する。
現金なことにたったこれだけのことで、またやる気と集中力が回復し、
最後まで手を抜かずに手術を続けられるわけである。
最近は感染コントロールなどの問題で、多分廃止される方向であろうが、
缶一本をあんなにおいしく感謝して飲める機会は、
普通の生活の場ではまずないと思う。
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# by decoppati | 2004-12-26 15:25 | 脳外科の仕事

困った人々

困ったチャン
夜、病院に時間外にやってくる人は、
本当に病気や怪我で困ってやってくる人が大多数であるが、
なかにはお騒がせの、本人自体が「困りもの」もまた多い。

一番多いのは、酔っぱらい。
通称「おおとら」である。
ろれつが回らず、意識がしゃっきりしてないのが、
酒のせいか、はたまた頭を打ったせいか判然としないため、
ちょっとかすった程度でも、
救急車に乗せられて脳外科にやってくる。
これがまた、周りが看護婦さんに医者も女ときたら
なめてかかること、すさまじい。
救急車でやってくるので診療せざるを得なくなるわけだが、
診察にも治療にも全く協力せず、かえって恫喝する始末。
また、「どうしました?」と聞けば、
こっちの体を触ろうとしたり、電話番号を聞いてきたり、
挙げ句の果てに
「ここが悪いんです。」とかいって股間を指さすなど、
やりたい放題である。

向こうが刃物や凶器を持ってない限り、びくびくしない。
下手に出るとかえってなめられる。
ただし、絶対にあとで揚げ足をとられるような言動はしない。
おぼろげながらでも覚えている可能性があり、
世の中変な人も多いので、あとでくだらないことを
病院にねじ込んでくることもあるからである。

徹頭徹尾、敬語を用いつつ、毅然として、
何をいわれてもやるべきことをしっかりやって、
全て必要なことはカルテに書き残すようにする。
暴れていて、家族も捕まらない場合、
検査でなにも病的なものがないのを確認さえすれば、
警察を呼ぶことができる。
一晩、トラ箱行きとなるのである。
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# by decoppati | 2004-12-23 01:07 | 女性のハンディ

正月.2

レジデントと言われる2年目までは、
連休というものはほとんどもらえず、夏休みは2-3日、
年末年始には1日休みがもらえるのが関の山であった。
2年目の時、夏休み3日のところ、上司の機嫌が良くて、
「お前よく働いたから1日増やして4日休んで良いよ」といわれて、
天に昇るほど嬉しかったのを覚えている。
閾値が相当低くなってたみたいで、今考えると笑える。
今のレジデントはどこでも、一律最低1週間の休みがあるはずだ。

そんな、仕事を始めて1年目のときのこと。
東北のある病院で働いていて、
もちろん年末年始もずっと病院に居ずっぱりになっていたのだが、
そこの院長が突然、元旦だけ一日休みをやる、といってくれた。
ただし、
「正月に親の顔を見ない奴はろくな奴じゃないから、
 是非親の顔を見てこい」との事だった。
うちの親はと言えば、その年末年始、
脳天気にも家族で京都に遊びに行って滞在中だった。

ばか正直なわたしは、たった一日の休みにもかかわらず、
その東北の街を元旦の朝に出発し、
遠路はるばる、乗り継ぎ乗り継ぎ、京都に行った。
6時間かけて到着した京都はすでに午後2時頃で、
気を利かせた親が早い夕食を5時にセットしてくれて、
どうにか一緒に夕食をとり、ダッシュでまた6-7時間かけて
深夜に赴任地に戻った。そしてわたしの大事な休みが終わった。
こんなことなら、休みなんて要らなかったと本気で思った正月であった。
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# by decoppati | 2004-12-23 00:02 | 脳外科の仕事

正月.1

どこの科であっても、勤務医である限り当直はつきもので、
特にゴールデンウィークや正月のような連休には
少なくとも2日以上の当直が科せられる。
毎日うちに帰れる仕事に憧れるのはそういう時である。
どんなに遅くなっても、自宅にたどりついて
自分のベッドで寝られるなんてささやかながら極上の贅沢といえる。

正月当直の一番の苦労は、食べ物。
普段でも当直中は病院から一歩も外に出られないため、
ご飯は普通外からとることになる。
(通称、「当直めし」と呼ぶ、病院のまかない食が
 用意されていることもあるが
 例外なく勤労意欲をそぐような物体である。
 従って、元気良く働くためにはなにか外からとったほうがよい。)

正月、特に元旦は外食産業も休みであることが多く、苦労する。
みんなが家族で楽しく浮かれてるときに
寂しく間断なく働くだけでも滅入るのに、
しょぼいご飯を食べるとか、空腹でいたら、もっと滅入る。
この時期は繁忙期であるため、お菓子やカップラーメン、餅などを
正月の非常食として備蓄しておく医局もあるが、
しょぼいことこのうえない。
来年早々の元旦当直の際にせめておいしいものにありつけたら
どんなに手術が多くてもやる気まんまんになるのだが。
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# by decoppati | 2004-12-22 23:44 | 脳外科の仕事

冬は脳外科の季節!

どこの施設に行ってもいえるのは、
冬は脳外科の手術数が明らかに増えるということ。

なぜか。
思い出すと、子供の頃、
実家の近所のお年寄りがクリスマスから正月にかけて
トイレの中で倒れていたとか、死んでいたとかいう話を良く聞いたものだ。
それが運ばれてくる先が、脳神経外科だったのだ。
寒いと血圧の変動が大きくなることに関係して、
脳梗塞、脳内出血、くも膜下出血などが発生することが多い。

もひとつは、12月・1月は忘年会、新年会で
泥酔してもとことん飲む人が多く、
そこらじゅうで轢かれたり、転んだり、
階段から落ちたりすることに起因する。
手術を要する頭部外傷が明らかに増えるのである。

ちなみに秋の風物詩は柿の木からの転落である。
柿の木は折れやすく、じいさんたちがそう知りながら
何故か、懲りもせず上っては折れて落ちて頭を打ってやってくる。

ついでに1月の「もちつまり老人」も、毎年懲りずに必ず数人やってくる。
3ヶ日はもちろんのこと、中旬すぎてもやってくる。
ま、患者のほうは毎回違うのだから、懲りようもないわけだが、
どうして小さく切るとか、食べないようにするとか、家庭で注意するとか
できないのかがちょっと不思議である。
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# by decoppati | 2004-12-21 18:31 | 脳外科の仕事